・おまけ・挿絵を入れた記事

[記・Manager]

先にお話ししました挿絵を入れた記事(60年ほど前の話し)を紹介。
ただし、その日の記事のみを本人了解の上、転載しました。

その少女はどうなったのか???
気になる方は読んでみてね。    

ある方のブログから
【 イジメらっれ子】


今 イジメが大きな社会問題になっているが・・
かく言う私もイジメられっ子だった。
 
別府の町中の西小学校から山奥の朝日小学校に転校してチビの一風変わった子の私はイジメの標的だった。
おまけに『口だけは3年前に産まれた』と言われた私は口だけは達者な小生意気な子だったのだろう。
ランドセル(兄のお下がりで今みたいにカラフルな物では無く豚皮のベージュ)を持っていたのもズックを履いていたのも私一人だった。
みんなは教科書は風呂敷包み履き物は下駄の子が数人でほとんどが藁草履だ。


朴訥で口では到底勝てない田舎の子達は徒党を組んで実力行使に出た。
“霧島クン”と言う人並み外れて体格に良い子がガキ大将だった。
出席順の関係で席が不運にも隣同士。
木製の二人一組の蓋付きの机だった。
『肥後守』で苦労して削った鉛筆を全部折られる。
(当時の鉛筆は粗悪で芯はすぐ折れるし非常にきれいに削るのは難しかった)
宿題は隠される。
帳面には落書きされる。
時には教科書も隠された。
悔しいので先生には言わなかった。

「忘れました」と堂々と言い
「霧島クン貸して・・・」
教科書を借りて読んだりもした。

学校内では後 掃除当番を押しつけられる程度だったが下校の際 4・5人がいつも山道で待ち伏せして髪を引っ張ったりこづいたりスカートをめくったりするのである。
ランドセルを後ろから引っ張って動けなくしてからイジメるのである。
ランドセルの中に石や蛙を入れられる事もしばしば・・

泣けば止めたのかも知れないが 私は絶対泣かなかった。
(泣いてなんかやるもんか)
我慢して・・・我慢して・・・
肩をひくひくさせながら 家まで帰り戸を開けると「わあ~」と泣いた。

話しを聞いた母は
「髪を引っ張られんようにしたらええ・・」
と裁ち鋏でショートベリーに切ってしまった。
父は父で
「やられたら! やり返せ!」
「やられそうになったら 先にやれ!」
(どっちみち やれ! ってこと)

『攻撃は最大の防御なり』

(この教訓は今だに麻雀道で生きている)

「でもな・・相手はおっきいし・男の子やし・一人やないし・・」
と訴える私に父は“ねぶち”を持たした。
根鞭(竹の根の部分で軽いが叩かれるとしなって痛い)
「ランドセルは前にせよ」
「スカートはやめろ」
「絶対 負けるな!」

父の檄を受けて翌日から“ねぶち”を持っての登校となる。
つんつんの頭に兄のお古の学生ズボンで・・・
早速「おとこおんな!!」「おとこおんな!!」
はやしたてられたが 痛くも痒くもない。
男の子になりたかった私には かえって嬉しい位のもんだ。

下校時になると校門のそばに隠しておいた“ねぶち”を手にランドセルをくるりと前にして悪ガキ共が現れると
思いつく限り 知ってる限りの

『悪口雑言』

『罵詈雑言』

3年前に産まれた口で持ち前の大声でこの時とばかり怒鳴り散らす。

「なにぉ!!」
と至近距離にくればこっちのもの

『ピシリッ』 『ピシリッ』

顔と言わず手と言わず叩き付ける。
“ねぶち”は軽いので思うように操れるし しなって巻き付くのだ。
叩かれた所はみみず腫れになり相当痛い。

ランドセルは手さばきの邪魔と気づき次の日から唐草模様の風呂敷にして襷掛けにした。


かかって来い!!



“ねぶち”をビュンビュン振り回して『宮本武蔵の武者修行』と称しての私の下校時のスタイルである。
下校時はこれで回避出来たが その分校内でのイジメは陰湿になった。
ある日 霧島クンの鉛筆が私の筆箱に入っていた。
いや 正確には入れられていた。返すと

「鉛筆盗っとった・・ドロボー!!」

それからは私の机の中や 道具入れの巾着袋の中に見知らぬ物が入れられるようになった。
お手玉だったりちぃさい袋に入ったおはじきだったり・・
その当時では珍しい赤い表紙の[林美代子]と書いて有る手帳も・・・
(彼女のお父さんは貿易商で新別府に別荘があり疎開してきていた子だった)
当時私達の間では綺麗な端切れを集めるのが流行っていたのだが その中にも他人のが紛れ込ませてある。
紙で描いたお人形の着せ替え遊びの洋服にも・・・
みんな大事な宝物だ。
いち早く気づいた私は素知らぬふりして、その都度便所(くみ取り式)に行きすべて投げ込んでやった。
端切れの時は選別する時間が無かったので大事な自分の端切れ諸共投げ捨てた(泣きべそをかきながら・・・)

そして 教室では何が無い かにが無いと騒ぎたて

「持ち物検査」と霧島クンが提案するのだ。

が・・・私の身辺からは何も出ない。
私に濡れ衣を着せようとのもくろみははずれ慌てふためく霧島クンを尻目に私は涼しい顔。

因果を含められて霧島クンに渡した物か霧島クンが無断で拝借した物かさだかではないが本当に無くなった子は泣き出すし・・・・

「これからは私物を学校には持って来ないように」
の先生の一言でチャン!チャン!
先生 絶対の時代である。

家に帰り泣きながら父に話すと
「大将をやっつけろ 霧島君の弱点は何か・・」
「お勉強があんま出来ん・・」
ガキ大将の定番で成績はビリのほうだった。
「そこを攻めろ・・お前はな頭使え・・・あたま・・・」

それから私は霧島クンを集中口撃=攻撃するようになる。
読めない漢字が有ると誤読を教えみんなの失笑をかう。
先生に当てられると間違った答えを教える。
試験の時も盗み見しているのを承知の上で算数の時には最後に(0)を付けておいて提出直前に消して出したり 国語の漢字しりとり(完熟~熟語~語学~)と同じに書いて出した霧島クンを言わずしてカンニングが先生にバレルように仕向けた。
何故ならまだ(熟)と言う字は習って無かったのだ。
先生に霧島クンはこっぴどく叱られた。
先生はこわ~い存在だった。

立って苦手な本読みでつっかえつっかえ読んでいると音のしないように足で椅子をずらしておいて着席の瞬間に思いっきり椅子を蹴飛ばす。

“ガッタン!!ドッスン!!”

「静かにしろ・・・」
叱られるのは霧島クン。
私はすまして前を向いている。
そんな反撃の日々がしばらく続いた。
何かと事を起こす霧島クンは先生に目を付けられるようになり 私も何か企んでいると感じると隙を見ては椅子を蹴飛ばした。

とどめは冬の寒い日。
その日も掃除当番を私に押しつけて帰ろうとしている霧島クンを2階の教室から見つけた私は雑巾ごとバケツの水を霧島クン目掛けてぶちまけた。

うまい事命中して頭に雑巾を乗せた霧島クンが濡れ鼠の凄い剣幕で階段に向かうのを確認後 反対の階段から下りて教員室に逃げ込んだ。

「チビだけど何をするか分からない」
と一目置かれるようになって その日を境に私へのイジメは無くなったのである。
鼻っ柱の強い勝ち気な性格はこの頃培われたのかも知れない。


 
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コメント

damemama

時々覗いていました
うちの子もどうもいじめられているらしいのですが何も言いません。
学校や友達に聞くのもどうかと思いますし…
パパは単身赴任で週末にしか帰ってきませんので(心配させてもと)話ていません。(広い意味では同業者の嫁です)

manager@MD

★damemama さま ---------------------------------

ようこそ♪

『いじめられているらしいのですが何も言いません』
>子供なりに、どうにか解決しようと頑張ってるんでしょうか。
(本当は、それができれば1番なんですが)
健気で、親としてはいたたまれませんね・・・

パパさんを気遣う気持ちも解りますが、ここは先ずパパさんの力が1番必要かと・・・
可愛い奥さま&子供さんの心強い味方じゃないですか。damemamaさんひとりで悩む事じゃないですよ。

さ!今晩は電話しましょ。

それと・・学校に個人的にも信頼できる先生はいらっしゃらないですか?
こそっと相談されてみてはどうでしょう?

いずれにせよ1日も早くこの問題が解決されますよう心から応援してます!
またお立寄りくださいね~


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ShiN

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